安全に勝ちたいという恐れ

2級への技法

自分の将棋の弱さの根本は何だろうかと最近よく考えます。

至った結論は、私の中には、安全に勝ちたいという恐れがある、というものです。

慎重に考えて堅実な手を打っていって勝つぞ、という棋風や意気込みではないのです。

単に恐れ、です。

後ろ向きな出発点なので、それが良い方向で盤面に現れるのではなく、悪い方向で発露しがちだと思います。

たとえば私は、どちらかというと、自玉を固く深く囲うのではなく、自陣に攻め込まれないようにバランスよく布陣します。あちらも気になるし、こちらも守らなければ、と心配になるからです。どこから攻めこまれるかばかりに気がゆき、反対にこちらから攻めるチャンスを逃すことも少なくないでしょう。バランス陣形自体は、決して良くも悪くもありませんが、もし攻め合いになった場合には勝ちにくい。それは分かっているので、自分から攻め合いに持ち込むことはまず無く、戦略を狭くしているでしょう。

相手に自陣を突破されかけると、守備駒をさらに投じて、なんとしても決壊を防ごうとします。けれど、たいてい、かえって生贄を増やすだけに終わります。玉の早逃げや、攻めに転じるという発想を採ること自体が少ないです。

攻める時は、確実に突破しなければ、相手に大きな打撃を与えなければ、と思い込んでいます。当然、攻め始めるまでに手数がかかります。それがために、一度もこちらから仕掛けることなく、相手の攻撃の方が先に始まりがちです。私の攻めの準備は、中途半端な形で戦場に残ります。特に急戦調が多いネット対局では、不利な戦い方かもしれません。

優勢や勝勢になっても、相手の攻めの手はなぜか気になります。相手の攻撃が止まってくれないと、攻めの方に意識を向けることができないかのようです。相手がどうせダメだろうと思いつつ繰り出してきた反撃だったとしても、思わず付き合ってしまい、そこから逆転負けをすることも多いです。手抜いてもこちらの方が一手勝ちできるというギリギリの読みをしっかり入れていないこともあります。

技術的に言えば、私は、受けに視点や手数がゆきがちで、もう少し速い攻めに重きを移した方がよい、と言えます。ただその根本は、技術ではなく、精神にある。だから、しっかり読んでいないふとした局面、冷静な判断がしにくい際どい局面では、元々の性向が出てしまう。

この「安全に勝ちたいという恐れ」をどう扱えばよいでしょうか。技術を向上させて堅実な棋風にまで昇華させるべきでしょうか。あるいは、将棋は一手勝ちできればよい切り合いだと心の底から鍛え直すべきでしょうか。恐れは恐れのままに見つめて、それとは別に強い意志や欲望を持つべきでしょうか。まだまだ迷いが続きそうです。

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