最近、本当の駒得は何だろうかと、ふと考えるようになりました。
ぼろっとタダで駒を取られてしまうのは、明らかに駒損。あるいは、こちらの歩で、相手の小駒や中駒を取ることができれば、十分以上の駒得です。
ただ、たとえば、相手の桂馬とこちらの銀が交換になるならば、それは駒損でしょうか。将棋の駒には一般的な価値があり、通常は、桂馬より銀の方が価値があるとされます。けれど、できればタダで桂馬を取りたいと、銀を変に避けると、陣形がかえって悪くなる、という場合もあるはずです。今その瞬間の駒損を避けたようで、未来の別の駒損の禍根になってしまう。だから、桂馬との交換覚悟で桂頭の銀の形をとるか、あるいは、思いきって銀を取らせて、桂馬による拠点が残らないようにするのもありだ、と思うようになりました。
またたとえば、こちらの角と相手の飛車を交換できるとします。一般的には飛車の方が価値の高い駒ですが、もし相手の飛車がほとんど働いていないならば、こちらの角の方が実践的な価値が高いと言えます。この局面で飛角交換しては、果たして本当に駒得となるのかどうか。今後も角の働きに期待できるのかどうか、あるいは、代わりに飛車を得て攻めた方がよいのか。それを見極めなければなりません。
あるいは、叩きの歩によって、相手の陣形を乱せるとします。1枚歩損してしまいますが、その価値は十分にあるはずです。そこで駒の損得を論じても意味がありません。
究極的には、玉を寄せる時に現れます。寄せの時には龍や馬さえ切ってしまうことがあり、そこだけ見れば駒損と言えますが、それで玉を詰ませられるならば、本当の駒損ではない。むしろ良く働いたとさえ言えます。
駒の損得は、形勢に良い影響を与えられるかどうかで判断する。通常は、価値の高いとされる駒と、素直に交換した方がよい。けれど、その価値の高さは、その対局の、その局面、あるいは未来の局面も含めてはじめて評価される。そんな風に考えるようになりました。