将棋には「自然な手」という言葉がありますが、なにが自然な手と呼ばれるのだろうかと、最近よく考えるようになりました。
私は、自分でも自覚していながら、無理攻めをしがちです。相手に読み抜けがあれば、大勝利となりますが、普通はなかなかそうなりません。
局面が追い込まれてしまい、このまま守っていても仕方ない、えいやっ、と攻めの手に転ずる場合もありますが、これもやはり上手くゆきません。
自然な手というのは、形勢がとても良くなりはしないが、決して自分から悪くしない。その局面の最善手を考える。計画的でありつつ臨機応変も交えて戦いの準備を進めて、ほんの少しずつ少しずつ形勢を良くすることを狙う。形勢が良くなる手とは限らない局面もある。現状維持をすること、マイナスを最小限にすることが、最善手ということもありうる。AIの評価値的に言えば、長期的にたった1%ずつでも形勢が向上すればいい。決して消極的ではないけれど、無難な手を指しつつ、隙を作らずに優位を確立しようと虎視眈々とする。そういう手を自然な手と呼ぶのだろうなと思います。
それで具体的には、どんな手を自然な手と呼ぶことが多いでしょうか。
歩を進め、歩の下に攻め駒を進め、駒たちが前に出てゆく。
これが自然な手の基本だろうなと今は思っています。
そうすると、厚みを築くという方向に行くことが多い。
あるいは、微妙なバランスを保ちながら、開戦の機が熟すのを待つ。
そういう将棋になるのだろうなと想像しています。
ふと、自然な手の反対の手は何だろうかと考えもしました。
無理攻めや大技を狙った手が当てはまると思いますが、一番対極的な概念というのは「捌く」だろうなと今は考えています。
私の中で、捌くという概念は、寄せ以前の段階で、駒を交換しながら局面の打開や変化をはかることです。駒台に攻め駒が増えてゆき、詰みまで届きえる爆発的な攻撃に向かってゆく。荒々しいまでの流動性です。
自然な手の中で、穏便に駒を交換してゆくことはもちろんあると思いますが、捌きというのは、どこかそれとは違う方向感を感じています。
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