最近の将棋の序盤で心掛けているのは、持ち駒の歩を打たずに済むなら済ませたい、ということです。
たとえば、相手が飛車先の一歩交換を挑んでくる。通常、こちらは歩を打って再び陣形を固める。以前の私だったら、7段目(後手なら3段目)に歩を打って、がっちり守ることを良しとしていました。
だが、そうすると、その筋には、たたきの歩も垂れ歩も底歩もしばらくできなくなる。それが中盤、終盤と推移するにつれて、もどかしくなる。指し手の応用が効かなくなる、選択肢が狭くなる。
加えて、歩を打つ、その一手が惜しい。その一手を掛けて、何か別の仕掛けができないか考えたい。
そして、持ち駒に歩が1枚でもあればと思う中終盤は数知れず。拠点ができているのに、歩が無くて相手の金銀を削れない。歩が無くて、相手の香車が玉頭攻めに突き刺さる。
自陣の歩の無い箇所は、どことなく危うい。不安で不安でしょうがない。そこに目が行くと落ち着かない。どうぞ好き放題攻めて下さいという場所となっている。でも、それと引き換えに、こちらは相手陣へ歩で攻める権利を得ている。持ち駒に1枚の歩もある。私の攻めが託すべき一つの望みとなっている。
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