自陣は顧みず、ただただ詰み筋を読む

二段への技法

最近の対局の終盤で、自分でも不思議だなと思いつつ、自陣は顧みず、ただただ詰み筋を読んでいました。

相手玉も自玉も猛烈に危ない。以前の私だったら、まず自玉をどう守るか、詰んでしまわないか、しっかり読むようにしていました。受けなくてもいいと分かってから攻める、あるいは、自玉の安全をいったん確保してから攻める。

ところが、その対局では、自玉が危ないのは理解していましたが、受けの方向ではいっさい読みませんでした。自玉は詰まないと読み切っていたわけではなく、もしかすると詰んでいたかもしれません。相手陣だけを見つめて、自陣はいっさい目に入れませんでした。目をつぶって勝負手を指すといった表現を聞きますが、それに近い状態だったかもしれません。

理由の1つは、持ち時間が極わずかだったからです。受けの手を読んで、詰みがあると知れれば、負け。詰みが無いと分かっても、攻めの手を考える時間が無いので負け。いずれにしても、受けの手を読んでいては、時間切れで負けてしまうからです。だから、攻めの手だけを考えました。結果として、持ち時間を節約でき、詰み筋も見つかったので勝利しました。

別の日の対局でも、同じような経験をしました。今度は、なんとなく自玉に詰みが無さそうと思ったのです。正確に読んだわけではなく、正確に読まないと分からないほど難解な寄せ筋ならば考えるのを止めようと思いました。難しい詰将棋を解くのと一緒です。仮に、答えが分かったとしても、それは負けを意味するだけです。だったら受けの方向で読むのを止めよう。同じくらいの実力の相手なら、相手も分からないのではないか。その代わり、攻めの方向だけに絞って持ち時間を使いました。

私は、対戦相手より持ち時間の減り方が早いなと思っていましたが、その原因の1つが受けの手にかける時間かもしれないと思い至りました。読まなくてもよい、あるいは読んでも意味の少ない受けの手を、序盤や中盤から盛んに読んでいたのかもしれません。特に持ち時間が残り少ない終盤ではなおさらです。

もちろん、読みのスピードが速くて、攻めも受けも両方とも正確に読むのがベストですが、そうできない私は、時間配分においても工夫をしないといけません。どう受けるかに時間を割くのか、どう攻めるかに時間を割くのか。どんな手を指すかだけではなく、持ち時間における攻守の比重も見直すべきかもしれません。

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