私は将棋ウォーズで2級から1級に昇級するまで約9カ月かかり、最後の数カ月は自分の中で足踏みをした感がありました。攻めも受けも3級の頃と比べれば、いくらか上達した自覚はあったものの、どこか延長線上で戦い続けていた感がありました。
それまでの私は、受け将棋の棋風が強く、相手からの攻めには逐一対応していました。良く言えば手堅いのかもしれませんが、受動的な将棋でした。相手の攻めを完全に受け止めてから、自分の攻めを開始する。だから、完封して勝利するか、防ぎきれずに大きく瓦解して負けるか、どちらかだったと思います。将棋は終盤がすべてともと言われますが、私にとっての将棋とは中盤までに大勢が決着するものだったのです。中盤までにどれだけリードを奪えるかが勝負の分かれ目でした。終盤は、勝っても負けても、消化試合に近いものでした。
打開するきっかけの1つは、将棋ウォーズのスプリントモードだったと思います。モードの条件上、互いに攻めつつ、自玉の面倒も見るという対局姿勢を求められます。囲いが半崩れの状態で、攻めるのもあり、受けるのもあり。どちらも茨の道で、一手間違えれば、形勢が大きく動きます。開始局面は、空想上で考えられたものではなく、実戦の中から選ばれたものです。「ああ、こういう将棋もあるのだな」という新鮮な感覚でした。中盤まで互角で推移し、終盤から本当の勝負が始まる。これが将棋の本来の姿なのかもなと眼を見開らいた覚えがあります。
スプリントモードで、受けの手はいっさい指さずに、攻めの手だけを指す、という練習をしたことがあります。相手に龍やと金を作られたり、即詰みになることもありましたが、攻め続けるだけで勝利することも多々あり、それがまた私にとっては新鮮でした。「あれ、受けなくても、勝てることがあるじゃないか」という発見です。
それからしばらくして私は、相手の攻めを完全に防ぐことは諦めました。
対戦相手が強くなればなるほど、まともに受けようとしても、相手がそれを上回る手を指して来る。受けに駒を投入すればするだけ奪われ、放り込まれて、ますます酷くなる。戦力が減り、無駄な手間をかけただけに終わる。
だから、相手の攻めがそこそこ成立しそうなら、「もう勝手にしてくれ、その筋は食い破ってくれていい」と諦めました。その代わり「こちらはこちらで、この筋を攻めさせてもらうからね」と開き直りました。
平たく言えば、受け過ぎを改めた。攻めの棋風を強化した。そういう事です。ですが、私にとっては将棋観が180度、大きく変わったとも言えます。無傷の勝利を目指す戦いは当然成立しない。それどころか、どんな将棋でも、相手の攻めはある程度成功するものと諦める。けれど、傷つけられつつも勝利すればいい。言葉にしてみれば、当たり前の事柄と言えば事柄。
その諦念と覚悟が私にとって2級から1級になるために必須の条件でした。
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