先日、棋譜解析をしていると、将棋AIが奇妙な手を最善手としてきました。
その局面は、終盤の入り口。
相手が持ち駒の角を打ち据えて、こちらの飛車と桂馬に両取りを掛けてきたところ。飛車はもちろん取られたくないが、桂馬を取られたら角が馬となり自玉に迫る好位置。どちらも嫌だが、どちらかしか受けられない。
そこで将棋AIが、示した手は、たたきの歩。
相手の陣形は、玉の隣に金一枚。その金の頭を叩く。
「えっ、意味が分からない」と思わず叫んでしまうほどでした。
相手からすれば、こちらの駒のどちらかを取れる。金一枚をはがされるが玉で取り返せる。
いやいや、そもそもその歩を金や玉で払えば、金を剥がされずに済む。それから駒を取ればいい。薄い陣形だから、嫌み味な歩は残しておきたくない。なので、相手は歩を取る。
次に将棋AIが示す手は、飛車の小鬢を塞ぐこと。
「なんだ、結局、飛車を守るじゃないか」と私は思う。
だから次に角は、桂馬を取り、馬となる。こちらの玉に迫り始める。
と思ったところで、将棋AIは、それはできません、と言う。
いったい、なぜ??
もし、相手が角で桂馬を取ると、王手馬取りがかかるから。
先ほど、相手玉と金との連結を乱しておいた。相手玉の腹は空いている。こちらの持ち駒には、飛車がある。相手は角で桂馬を取っても、十字飛車が掛かって大きく駒損するだけ。だから、それはできない、と将棋AIは言う。
結果として、こちらの駒2つは取られない。角は宙ぶらりんのまま。相手の陣形は手薄になった。これから、さらにしっかり守ってもいいし、持ち駒の飛車を活かして攻めに行ってもいい。手番は握り返したに等しい。
私は信じられないものを見た思いでした。
単に攻めるのでもなく、単に受けるのでもない。
攻めの手が受けの手になり、受けの手が攻めにつながる。
攻めと受けが織り交ざり、自玉を安全にしつつ、相手陣に迫ってゆく流れ。
攻防一如の精神。
武道の心構えを指すその言葉が思い浮かびました。
